<20世紀生まれの主な作曲家>
E.ベルイマン(1911~2006)/A.ソンニネン(1914〜1984)/E.エングルンド(1916~1999)/T.ピュルッカネン(1918〜1980)/J.コッコネン(1921~1996)/E.ラウタヴァーラ(1928~)/U.メリライネン(1930~2004)/A.サッリネン(1935~)/P.ヘイニネン(1938~)/P.H.ノルドグレン(1944~2008)/K.アホ(1949~)/K.サーリアホ(1952~)/M.リンドベルイ(1958~) <第二次世界大戦直後> 第二次世界大戦はフィンランドの音楽発展において断絶を意味する。音楽家や作曲家の多くは戦場の慰問団にいたためにコンサート活動は中断されていた。戦後初の注目に値する作曲家としてはタウノ・ピュルッカネン(→NML・1918~1980)とアハティ・ソンニネン(→NML・1914~1984)が挙げられ「北のプッチーニ」と呼ばれたピュルッカネンは早熟な作曲家で代表作「マレと息子」を初めオペラの作曲に専念した。ソンニネンの代表作はバレエ「ペッシとイッルシア」でフィンランド国立オペラで短期間に100回以上上演された。 <新古典主義の時代(1940年代後半〜1950年代)> 戦後、最もセンセーショナルなデビューを果たしたのはエングルンドで1940年代後半に初演された交響曲第1番「戦争」(1946)と交響曲第2番「クロウタドリ」(1947)の初演はフィンランドの民族ロマン主義の終焉を意味する。この後、1950年代中頃まで新古典主義が音楽界の主流となりエングルンドが代表的な作曲家となり、コッコネン、ラウタヴァーラ、メリライネンも新古典主義者としてデビューした。 <十二音技法・前衛主義時代(1950年代中頃〜1960年代中頃)> 1954年以降、音楽界に大きな影響を与えたのはエリク・ベルイマンによってフィンランドに紹介された十二音技法で新古典主義者としてスタートしたコッコネンやラウタヴァーラやメリライネンも1950年代後半から1960年代前半にかけて十二音技法を試しており、1950年代後半に作曲活動を開始したサッリネンも影響を免れなかった。ヘイニネンはほぼ十二音音楽からスタートし、全面的な十二音技法に向かうことはなかったが他の作曲家が1960年代後半以降多元主義や新調性(自由調性)主義に向かった時も十二音技法の基本は捨てなかった。最も若い世代の前衛主義者は中央ヨーロッパの前衛主義の保護者として登場した。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー <エイナル・エングルンド>→NML
エングルンド(1916〜1999)は戦争によって若い時代を犠牲にした世代の作曲家でシベリウス音楽院で1941年までベングト・カールソンに作曲を師事した後、継続戦争に従軍した。 (※)1941年の7月(継続戦争が始まった月)にエングルンドはアイノラ(シベリウスの家)に飛び込みで訪問している。たまたまラジオでエングルンドのピアノ五重奏曲を聴いたことがあったシベリウスから暖かく迎えられ、この時の縁で後にシベリウスの推薦でアメリカに留学出来た(1948〜49)。 1940年代後半に初演された交響曲第1番「戦争」(YouTube)(1946)と交響曲第2番「クロウタドリ」(YouTube)(1947)の初演はフィンランドの音楽界にとってショッキングな出来事でヨーナス・コッコネンは「我々はすべてエングルンド派になった。」と述べている。これら新古典主義の交響曲ではシベリウスの影響が間接的には現れているが、その伝統から解放された。1954年にはチェロ協奏曲、1955年に現在最も良く演奏されるピアノ協奏曲第1番(YouTube)を作曲しこの時代の代表的作曲家となったが1959年にバレエ「オデュッセウス」を完成した後、中央ヨーロッパから十二音技法が入ってくる中で自分の作品が反響を呼ばなくなると考えた約10年間作曲の筆を断った。1957年から81年までシベリウス音楽院に作曲の教師として勤務し1960年代は国営放送軽音楽オーケストラと共に軽音楽に集中した。 クラシック音楽界に復帰したエングルンドは交響曲3番(YouTube)を1971年に完成した。「新しい」エングルンドは「昔の」エングルンドと本質的に異なるものではなく、依然として動機・主題の扱いに基づいており、その調性的性格は明らかである。その後1980年代末にかけて7番までの交響曲と様々な協奏曲を作曲した。エングルンド作品はストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチの影響が明らかで、後にバルトークにも影響された。交響曲第4番「ノスタルジック」(YouTube)は「偉大なる作曲家の思い出」...ショスタコーヴィチに捧げられた。 ーーーーーー <エリク・ベルイマン>→NML 十二音技法をフィンランドで最初に用いたのがE.ベルイマン(1911〜2006)でロマン主義の作曲家として出発した。初期作品は後期ロマン主義に縛られており、この時期に作曲された意義深い作品としてはオマル・カイヤームの詩に作曲された「ルバイヤート」(1953)が挙げられ、ベルイマンがヨーロッパ以外の、特に古代の文化に興味を持っていることが明らかになった。この隔たった文化に対する関心は形を変えながら引き継がれていった。 ベルイマンの作曲家としての成長に決定的な影響を与えたのは十二音技法の可能性を知ったことで「ピアノとクラリネットのための3つの幻想曲」(1954)で十二音技法を使用し、これがフィンランド音楽史上初めて十二音技法を用いた作品となった。この後、スイスでウラディーミル・フォーゲルに音列技法を学び(ベルイマンの推薦でラウタヴァーラやメリライネンもフォーゲルに学んでいる)以後数年間ベルイマンは好んで十二音技法を採用した。1957年夏にはダルムシュタットを訪れ音列技法の講義に参加し、フィンランドで初めて音列技法を使用した「オーバード」を作曲した(1958)。十二音技法と音列技法の研究の総決算として書かれたのが1962年作曲のバリトン、混声合唱、室内オーケストラのための「セラ」でその後ベルイマンは新たなスタイルを確立することになった。 新たなスタイルでは音色の要素と全体的構造への配慮が作品のなかで目立つようになりベルイマンの様式の土台となった。1973年作曲の管弦楽作品「色彩と即興」はベルイマンの成長の最後の段階を物語っている。作品の中で最も大きな割合を占めるのが声楽作品で「人の声」という無尽蔵の資源の探求者であったベルイマンの集大成はオペラ「歌う樹(1988)」である。 (※)エリク・ベルイマンの個展(2CD)→NML ーーーーーー <ヨーナス・コッコネン>→NML J.コッコネン(1921~1996)は第二次世界大戦後のフィンランド音楽界で極めて重要な位置を占める。単に作曲家であるだけではなくフィンランド・アカデミーの会員であり、作曲科の教授、活動的なジャーナリストでもあった。文化関係の討論会にも参加し選ばれて記録的な数の公職にも就いていた。コッコネンの作曲家としての成長は新古典主義時代、十二音音楽時代、新調性(自由調性)主義時代の三つに分けられる。1940年代に新古典主義者として出発したコッコネンは1957年に「弦楽合奏のための音楽」を作曲。新古典主義時代の総決算となった。しかしこの曲では既に半音階的な手法も見られる。 1950年代後半からは十二音技法を採用し弦楽四重奏曲第1番(1959)が初めて十二音技法を用いた作品となった。コッコネンの中期の作品は構成において、初期や後期の作品より知能的、抽象的で、形式の上で手本となったのはシベリウスの交響曲第4番(特にその第3楽章)である。十二音技法時代の最も重要な曲は交響曲第1番から第3番まで(1958〜1960、1961、1967)であるが交響曲第3番は転換期の作品でもありここでは十二音技法は完全には応用されてはいない。 1960年代後半以降から新調性(自由調性)主義時代が始まった。簡潔な交響曲第3番は1968年に北欧音楽賞を受賞したがこの作品以降コッコネンの作品は円熟味を増し、響きが豊かになり、三和音等の伝統的手法を使用するようになった。1969年には見事な構造を持つチェロ協奏曲を作曲し1960年代の代表作となった。1975年にはフィンランド音楽界で前例のない大成功を収めたオペラ「最後の誘惑」を作曲。この曲はマデトヤのオペラ「ポホヤの人々」と並ぶ国民オペラとなり、フィンランドにオペラブームを興した。最後の大作は1981年作曲の「レクイエム」でこのジャンルにおける傑作の一つである。 (※)ヨーナス・コッコネン・交響曲全集(2CD)→NML ーーーーーー <エイノユハニ・ラウタヴァーラ>→NML 現在、最も有名なフィンランドの作曲家となったE.ラウタヴァーラ(1928~)の作風は極端から極端に飛び跳ねるもので直線的な成長を遂げたわけではなく一時は十二音技法も採用した。1952年までシベリウス音楽院でアーッレ・メリカントに学んだラウタヴァーラの1950年代初期作品は当時、フィンランド音楽界で主流だった新古典主義に位置付けられる。この時期の総決算は「我らの時代のレクイエム」(1953)でアメリカのソール・ジョンソン作曲コンクールに優勝(1954)した。この曲は現在でもフィンランドで演奏される機会の多いブラス・アンサンブル作品の一つである。 1955年にはシベリウスの推薦を受け2年近くアメリカに滞在してタングルウッド夏期講座やジュリアード音楽院で学んだ。更に1957年にはベルイマンの推薦でスイスのウラディーミル・フォーゲルに十二音技法を学んでいる。この頃から十二音技法の実験が始まるが、その扱いは徹底的なものではなく試行の多様性がみられる。弦楽四重奏曲第2番(1958)はロマン主義的で交響曲第3番(1961)もその十二音階性は調性的である。十二音技法時代最大の野心作は1957年から1963年にかけて作曲されたオペラ「鉱山」で1956年のハンガリー動乱からインスピレーションを得て作曲された。 十二音技法の実験時代を経た1960年代後半には熱狂的な新ロマン主義が優勢な特徴となった。このスタイルで独立カンタータ(1967)、チェロ協奏曲(1968)を作曲しているが、この時期の代表作にはピアノ協奏曲第1番(1969)が挙げられる。1970年代以降は様々な様式の統合を目指している。この時期から作品にはモダンな要素と伝統的な要素が結合しており、しばしば作品は不合理的な面も持ち始めるが、内容的に多くの層を持った作品に広がりを見せている。1972年作曲の「カントゥス・アルクティクス(極北の歌)」はラウタヴァーラの作品中最も有名なものでこの曲では新ロマン主義的な管弦楽のテクスチュアに対して、鳥のテープが爽やかな対位法をなす。 ラウタヴァーラの作曲ジャンルは多岐に渡るが中心をなすのはオペラと交響曲・協奏曲で1975年にカレワラのマルヤッタ伝説に基づく神秘的演劇「マルヤッタ」を完成。1981年にもカレワラに基づく「サンポの奪回」を作曲した。1985年のオペラ「トマス」はフィンランドのカレワラ調文化とキリスト教文化の衝突が題材で、1996年の「アレクシス・キヴィ」ではフィンランドの生んだ悲劇の芸術家の運命が描かれている。交響曲・協奏曲の分野でも重要な作品を残しているが1994年作曲の交響曲第7番「光の天使」は国際的なベストセラーとなり世界的にその名を知られるようになった。この他にも数多くのオーケストラ、室内楽作品、合唱作品を残しているが、代表的な合唱作品としてはロルカ組曲が挙げられる。 1976年から88年にかけてラウタヴァーラはシベリウス音楽院の作曲家教授を務めており、生徒としてはカレヴィ・アホ、オッリ・コルテカンガス、マグヌス・リンドベルイ、エサ=ペッカ・サロネンなどがいる。 ーーーーーーーーー <ウスコ・メリライネン>→NML U.メリライネン(1930~2004)の作曲家としての業績と作品は戦後フィンランドのモダニズムの歴史と密接に結びついている。シベリウス音楽院でアーッレ・メリカントに学び作曲家として活動を開始した頃は1950年代、新古典主義が優勢な時代でメリライネンも新古典主義者として出発した。この時期に影響を与えたのはストラヴィンスキー、特にその「春の祭典」であり、その影響は交響曲第1番(1955)やピアノ協奏曲第1番(YouTube)(1956)に見てとれる。 1956年にダルムシュタットの現代音楽夏期講習に参加し、スイスでウラディーミル・フォーゲルに2年間学んだ後、メリライネンは1960年代に十二音技法を使用した。その時期は作曲家としての活動の中では短い過渡期の位置を占めるに過ぎないが作曲家として飛躍する上で大きな役割を果たし、十二音技法や音列技法を放棄した後も、モダニズムの理想を保持した「ポスト」十二音技法に進んだ。弦楽四重奏曲第1番(1965)は重要な過渡期に作曲された最後の十二音技法による作品で、この曲では新ウィーン楽派に大接近している。 メリライネンの新しいスタイルはリズム的により自由な音楽的表現に向かって進み、そこでは偶然性の応用が重要な意義を持っていた。ピアノソナタ第2番(1966)ではキャラクター・テクニックを開発したが、重要なのは音の親族関係より、音楽的キャラクターの同一性及び差異である。この曲では基本キャラクターは「ポイント」「ライン」「フィールド」の3つから構成される。メリライネンがキャラクター技法を通じて発展させた様式は以後の作品でも基盤となった。その特徴は、ダイナミックで力強い急速な動きから、弾力性のある、ルバート風の自由パルスにまで及ぶ、豊かで贅沢なリズムである。後期作品では音色への配慮が見られるようになり、小さな動きの中に控え目な詩的内容を込める傾向が見られるが、必要とあれば力強い爆発を表現することも忘れてはいない。ピアノ協奏曲第2番(1969)や交響曲第3番(1971)は作曲家自身の言葉によれば「私たちの暴力的な世界に対する発言」である。 メリライネンの重要作品は5つの交響曲、チェロ協奏曲(1975)、フルート協奏曲「幻想とささやき」(1985)、ギター協奏曲(1991)等で、そのほか室内楽に優れた作品がある(5つのピアノソナタ等)。
by suomesta
| 2016-01-01 00:04
| フィンランド音楽史
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